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 佐久間 恵 先生 (1979~2011)

出会い

 2007年に私が福島県のいわき明星大学に勤務していた頃、 当時、佐久間先生は福島労災病院にて心理士として働いておりました。 そして、その頃「いわき若手臨床心理士の会」という勉強会を数名で 細々と行っていたのですが、私と佐久間先生はその時の メンバー同士でした(ここでは「先生」と書いていますが、 私にとっては友人・仲間です)。 佐久間先生は、「精神分析」を主に学んできており、私とはまったく 趣向が異なるのですが、私の話に関心を持って耳を傾けてくれました。 また、時に緊張した様子で(佐久間先生は非常に「あがり」やすかった)、 鋭い意見を言うこともありました。 このように、鋭い意見を持っていながらも緊張ありありの様子で話すなど (なんてもったいない!)、でも、そんな人間くさいところに親しみを 感じられるような先生でした。


臨床スタイルが垣間見えたエピソード

 私が仕事上で、大変に追い込まれ、悩んでいた時期があったのですが、 いつも佐久間先生は相談に乗ってくれました。 そのほとんどが愚痴ばかりで、前向きな話はほとんどしていなかったと思います。 毎回毎回、進歩もせず同じような話を繰り返していたのですが、そんな話に嫌な顔一つせず、 真剣に話を聞いてくれました。そのことで私は非常に支えられました。 そんなある時、それまでただじっと耳を傾けてくれていたのが、 「久持さんなら乗り越えられるよ」と言ったのです。 それまで愚痴ばかりで、前向きな話などほとんどしないでいた私に 「乗り越えられるよ」というのは何と根拠のないことなのかと、一時は憮然としたのを覚えています。 しかし、よく考えてみると、そんな(愚痴ばかりの)私でも信頼してくれているのだということが しみじみと身にしみてわかってきたのです。そして、そういうことがわかると、今度は 「乗り越えられるよ(だから乗り越えなさいよ)」と言われているようにも思われ、 とても厳しい一言だったようにも感じられたのです。 佐久間先生は、真剣に耳を傾けることを基本にしながら、時に奥深い言葉を投げかけ、 「温かさの中にかすかな厳しさがある」姿勢で私の話を聞いてくれました。 おそらく、臨床現場の中で佐久間先生の前に現れる方にも そのような姿勢でいたのではないかと想像しています。


臨床心理士としての佐久間 恵

 「私、臨床心理士を辞めようかと思ってる」と、ある時突然、佐久間先生から相談されたことがあります。 非常に重い一言でした。「仕事を辞める」ではなく、「臨床心理士を辞める」なのですから。 長年目標としてきたことが、ある程度解消したことにより、目標を見失ってしまったとのことでした。 その時は、「僕は佐久間さんと一緒にこれまで学んできたし、これからも学んでいきたい。 だから辞めてほしくない」と、何とも役に立たない事を言ったのを覚えています。 その後、私が東京に職場を移すことにより、しばらく顔を合わせることがなかったのですが、1年後 くらいに、ある勉強会で会うことができました。その時、佐久間先生は「久持さん、私ね、臨床心理士を 辞めずに、臨床心理士として生きていくことを決心したよ。いつぞやはご心配をおかけしました」と 言ったのです。 それから程なくして、佐久間先生は病を患い、闘病のために長期療養を余儀なくされてしまいました。 そして約1年の闘病生活の末、2011年5月に逝去されました。 臨床心理士として生きていくことを決意した矢先に病に倒れてしまったことは、さぞかし無念だったこと だろうと思います。闘病中も、常に担当していたクライエント(患者)のことを心配し、気にかけていました。 また、病のために臨床心理士として働くことはもうできないと薄々わかっていたでしょうが、長い間、 職場に籍を置き続けました。臨床心理士として働きたかったのだと思います。 「臨床心理士に迷い、そして臨床心理士として生ききった」そんな人生だったのではないかと思います。 謹んでご冥福をお祈りいたします。


佐久間先生へのメッセージ

 闘病中にいただいた「臨床がんばって」のメッセージ、しっかりと受け止めさせていただきます。 佐久間さんの分まで、今後臨床心理士として精進していこうと思いますので、どうぞ見守っていてください。 今まで、どうもありがとうございました。感謝しています。 最後にちょこっと本音を言わせていただくと、悲しいぞ~(涙)